デジタル技術で変革を――不動産業界の課題と展望
情報通信白書(令和3年版)によると、不動産業界ではDXの導入が進んでいない企業が多く、56.0%の企業が「DXを実施していない、または実施予定がない」と回答しています。不動産業界でのDXの進展が遅れている背景には、いくつかの要因が考えられます。
まず、不動産業界では長年にわたって紙ベースの契約や対面での交渉など、アナログな業務手法で進められてきました。契約書や登記簿などの重要書類のデジタル化に際しては、法的規制やセキュリティに関する課題も多く、これらがDX推進の障壁になっています。また、現場のスタッフは物件案内や商談などマンツーマンの業務が中心で、リモートやデジタル技術のメリットを実感しにくい環境もあります。
マクロで不動産市場を見ると、少子高齢化や価値観の多様化によって住宅に対するニーズが複雑化しています。政府も住宅政策において「ストック重視」を掲げ、新築だけでなく既存住宅の活用にも重点を置くようになりました。
このような状況下で、顧客ニーズに対応するために、データドリブンな営業活動やAIを活用したパーソナライズドマーケティングの導入が求められています。
このグラフは、労働生産性(実質GDP/雇用者数)の推移を示したものです。労働生産性指数は、労働者一人当たりがどれだけの付加価値を生み出しているかを示すものです。
情報通信産業が一貫して上昇傾向にある一方で、2000年以降、今回クローズアップする不動産業界は医療・福祉、個人サービスなどの産業と同じく、生産性が横ばいもしくは下降傾向にあり、現在も他業界と比べて低い水準にとどまっています。この現状を打破するためには、デジタル技術の積極的な導入が急務です。
不動産業界のDXは、顧客との接点から取引完了までのプロセス全体の課題を解決し、次の3つの軸で進んでいます。
- 業務の高度化(自動化・効率化)
- 顧客体験の向上
- セキュリティの強化
例えば、AIを活用した自動物件管理や契約手続きのオンライン化により、業務効率の大幅な改善や長時間労働の是正が視野に入ってきます。バーチャル内覧やチャットボットによって顧客体験が向上し、多様化するニーズに応えられるようになります。安全なプラットフォームは不正やデータ改ざんを防ぎ、取引のセキュリティを強化する有効な手段になり得ます。次項から、DXの3軸に沿った成功事例を紹介します。
DXが生む新サービス:不動産業界でイノベーションが進む
DXの第一の軸である「業務の高度化」では、顧客データを活用したパーソナライズドマーケティング、データドリブンマーケティングによるサービスの高度化、不動産価値を向上させるプロパティマネジメント(以下PM)や物件メンテナンスにおけるIoTの活用について紹介します。
REX Real Estate(アメリカ)/不動産仲介をデジタル化、AI活用で低コストとスピードを実現
DXを推進した背景
REX Real Estateは2014年にアメリカで創業した不動産テック企業で、デジタルを活用した不動産仲介サービスを提供しています。
同社は不動産仲介業務にテクノロジーを活用し、コスト削減と効率化を目指し、5~6%程度が一般的だった仲介手数料を2%程度に抑えたビジネスモデルを展開しています。
DXを推進した結果
AIとビッグデータを活用して、オンラインで不動産物件を探す潜在顧客の行動データを収集。「REX Reachプラットフォーム」は高度なターゲティング機能を持っており、売主や投資家、不動産の初購入者など、顧客一人ひとりに最適な物件情報を提案できます。
潜在的な購入者に向けて、住宅所有者のデータを解析することでデータドリブンなアプローチを展開。AIロボットで物件の査定や価格評価の自動化も進めており、顧客のスムーズな選択を支えています。
オープンハウス(日本)/顧客データを活用したDX戦略、効率化と利便性向上で市場に勝つ
DXを推進した背景
オープンハウスは日本の大手不動産企業として戸建住宅の販売や不動産仲介、マンション開発など多岐にわたる事業を展開しています。売上高が約1兆1,000億円(2023年度)に達する同社ですが、市場の競争が激化する中で多様化するニーズに応えるため、DXを推進。
2023年度には11万時間の業務削減を達成し、2021年度の6.2万時間から大幅に業務効率を改善しました。経営の軸にDXを据え、特に「パーソナライズドマーケティング」と「サービスの高度化」に力点を置いています。
DXを推進した結果
同社は営業支援システム「AetA」を開発し、データドリブンマーケティングを実践。顧客のニーズに基づいたマーケティングを強化しています。顧客データを営業活動に有機的に連携させ、顧客一人ひとりに最適な提案をおこなうことが可能になりました。
FinTechサービス「おうちリンク・おうちバンク」によって、スマートフォンから住宅関連のマネー管理をおこなえる環境を整え、ユーザーの利便性を向上させています。
Cushman & Wakefield(アメリカ)/IoTの活用で物件管理を効率化、メンテナンスコストを大幅削減
DXを推進した背景
Cushman & Wakefieldは、1917年に創業した不動産サービス企業で、商業施設やオフィスビルの仲介・管理を専門としています。世界60ヵ国以上に拠点を構え、グローバルで優位性を維持するためにDXを推進してきました。不動産の運営、管理をおこなうPMや物件のメンテナンスでIoTを導入し、物件の効率的な管理を進めています。
DXを推進した結果
同社はMicrosoft Azureクラウドを活用し、クラウドベースのPMプラットフォームを導入。IoTセンサーで物件をリアルタイムで監視しています。設備の異常や故障を早期に検知し、スピーディーな対応ができます。これによって運用サイクルタイムが80%削減され、メンテナンスコストが大幅に削減されました。
また、入居者はリモートで照明や空調を管理し、スマートロックを利用できるスマートホーム施策を展開。物件の満足度が向上し、競争力が高まりました。
テクノロジーの実装が顧客体験を変えていく
不動産DXでは顧客体験(CX)が大きく変わります。バーチャル内覧や仮想ステージングは時間や場所の制約もなく、物件の魅力を伝える効果的な手段になっているのです。
Matterport(アメリカ)/3Dスキャンで物件をリアルに体感、契約率40%向上を実現
DXを推進した背景
Matterportは2011年に創業し、建物や空間の高精度デジタル化技術を磨き上げてきました。DXの一環として物件を内覧するプロセスでデジタル化を積極的に進め、顧客満足度の向上を目指しています。
DXを推進した結果
Matterportが提供するバーチャルツアーは、3Dスキャン技術を活用して物件のデジタルツインを作成し、ヘッドセットによってリアルな内覧体験を提供します。AIによる空間データ分析も組み合わせ、物件の細部や寸法も正確に把握できます。この仕様により、遠方に住む顧客や海外の投資家など、物件を直接訪れることが難しい顧客にもアプローチできるようになりました。
同社のサービスを導入した不動産事業者はバーチャル内覧後の契約率が40%向上しており、遠隔地からのリード獲得率は50%以上増加するなど、着実な成果を上げています。
CBRE(アメリカ)/バーチャル内覧で商業施設の運用を最適化、内覧効率30%向上を実現
DXを推進した背景
CBREは商業用不動産サービスのリーディングカンパニーとして世界60ヵ国以上に事業を展開しています。豊富な実績と最新のテクノロジーを組み合わせて最適な不動産ソリューションを開発し、不動産管理の効率化と顧客エンゲージメントの向上を図っています。
DXを推進した結果
CBREは、事業用の不動産を対象としたバーチャル内覧ツールを提供しています。業務用のレイアウト提案やスペースの最適化を支援し、オフィスや商業施設に特化した提案ができます。
企業のニーズに応じたレイアウト変更や、将来的な拡張を考慮した提案が可能です。物件を確認しながら具体的な運用プランを策定することが可能です。これにより、同社は内覧プロセスの効率を30%向上し、契約までのリードタイムが大幅に短縮されています。
三井不動産(日本)/DXで物件見学を仮想空間へ、MR技術が購買体験を向上
DXを推進した背景
三井不動産は日本を代表する大手不動産デベロッパーです。DXを戦略的に推進し、特にCXの向上に力を入れてきました。デジタル技術を活用したバーチャル内覧のほか、空室の物件写真にCGで作成した家具や小物を仮想的に配置し、合成画像を作成する「仮想ステージング」を活用し、物件の魅力をリモートで体験できる環境を整えています。
DXを推進した結果
三井不動産はMR技術を活用し、バーチャル内覧と仮想ステージングを導入しました。顧客は3D空間内で物件を見学でき、家具のレイアウトや色の変更もできます。DXによって購入意欲を高める施策です。また、メタバースモデルハウス見学では営業担当と顧客が仮想空間でやり取りできます。住宅展示場のコスト削減や、顧客層の拡大といった効果が報告されています。
取引プロセスのデジタル化で安全性と効率を高める
「取引プロセスのデジタル化」にフォーカスした施策は、取引に安全性をもたらすほか、業界特有の課題の解決も目指しています。先進企業の取り組みから、不動産取引で進むDXを紹介します。
Digital Garage(日本)/取引のデジタル化を加速、電子契約プラットフォームで効率とセキュリティを強化
DXを推進した背景
Digital Garageは1995年に創業し、東京とサンフランシスコに拠点を置くICT企業です。同社は不動産取引の安全性や効率性を向上させるため、DX不動産取引プラットフォーム「Musubell」を開発しました。アナログなプロセスでデジタル化を進め、不動産業界が抱える人手不足や長時間労働といったソリューションとして期待されています。
DXを推進した結果
Musubellプラットフォームは、電子契約や取引データの一元管理、契約書の自動生成、完了した文書の電子保存などを提供しています。野村不動産ソリューションズはMusubellで電子契約を導入し、ペーパーレスを実現しました。契約プロセスの時短になっただけではなく、書類も安全に管理できるようになりました。
2段階認証を導入しており、セキュリティも強化しています。2024年3月時点で導入した不動産事業者は420拠点に達し、電子契約の数は年間で8,665件にのぼっています。
JLL(アメリカ)/GPTモデルで商業不動産取引を革新、業務効率と透明性が飛躍的に向上
DXを推進した背景
JLL(Jones Lang LaSalle Incorporated)は、世界80ヵ国以上で商業不動産サービスを提供する大手不動産投資・管理会社として、グローバルなプレゼンスを確立しています。同社は2023年、DX戦略の一環として商業不動産に特化したGPTモデル「JLL GPT」を発表しました。これは業務効率の向上とセキュリティ強化をねらったモデルで、特に取引プロセスのサポートに力を発揮します。
DXを推進した結果
JLL GPTは、JLLがストックしてきた商業不動産の膨大なデータを活用し、契約書の自動生成やリアルタイムのデータ分析、迅速な取引をサポート。従業員が質問を投げかけるだけで、不動産取引のデータを簡単に取得できる仕様です。導入からわずか48時間で、1万1,000人以上の従業員がこのモデルを利用。業務効率が向上し、取引の透明性も大幅に改善されました。
※16:出典「JLL unveils first GPT model for commercial real estate」(JLL・2023)
Opendoor(アメリカ)/データドリブンな価格予測で住宅売買を効率化し、顧客満足度が業界トップに
DXを推進した背景
Opendoorはアメリカの不動産テック企業で、オンラインプラットフォームを通じて住宅の売買をおこなっています。不動産の取引はステップが多くなるため、同社はDXによってプロセスを簡素化。AIを活用したデータドリブンな価格予測モデルを構築し、取引の効率化を目指しました。
DXを推進した結果
AIを活用した「iBuyer」プラットフォームを基軸に、データドリブンな価格予測モデルを導入しました。このシステムは、不動産のビッグデータを分析し、迅速に物件価格を提示できます。このプラットフォームで物件の査定から購入、販売までのプロセスが自動化され、取引のスピードが大幅に向上しました。顧客の満足度も向上し、2023年には「顧客推奨度(NPS)」が業界トップクラスの水準に達しました。
※17:出典「Opendoor Technologies Inc Company Profile - GlobalData」(Opendoor Technologies Inc・2024)
AI・ビッグデータが創る未来の顧客体験―DXが生む新たな優位性
不動産業界のDX導入事例を総括すると、自動化やデータドリブンなプラットフォームにより、業界全体のプロセスに大きな変革のうねりが見られます。例えば、OpendoorのAIによる物件査定やJLLの商業不動産向けGPTモデルの導入は先進テクノロジーの積極的な実装です。国内の事例でも、Digital Garageの「Musubell」プラットフォームはペーパーレス化と電子契約の普及を大きくアシストしています。
顧客満足度の向上にもテクノロジーが大きな役割を果たしています。MatterportやCBRE、三井不動産が提供するバーチャル内覧や仮想ステージングで、顧客は時間や場所に縛られずに物件を確認できるようになり、CXは目覚ましく向上しました。
REX Real EstateやOpendoorは、AIやビッグデータを活用したパーソナライズドマーケティングや価格予測により、サービスを高度化し、顧客満足度と業績を向上させています。これらの取り組みは他社との差別化を図り、競争優位性を確保するための鍵となっています。
海外事例で顕著ですが、不動産取引プロセスの完全デジタル化や顧客とのインタラクションを強化するツールの開発が進み、取引のスピードや安全性がさらに向上しています。国内企業でもAIを活用したデータドリブンな意思決定の仕組みが実装されることで、不動産投資や住宅ローンの領域でデジタライゼーションが進む期待があります。
AI、ビッグデータ、IoT、VRなどの技術を中心に、不動産業界のDXは加速する一方です。それは単に効率化やセキュリティの向上を図るだけでなく、新しいプロダクトやサービスを創出し、新市場を開拓する鍵になります。データ活用による顧客ニーズの予測や、バーチャル内覧などの活用を通してビジネスモデルが一段と進化する可能性を秘めています。従来のビジネスを超えた新たな価値創出へ、一歩踏み出すときです。