執筆者紹介

株式会社メンバーズ
「“MEMBERSHIP”で、心豊かな社会を創る」を掲げ、DX現場支援で顧客と共に社会変革をリードする、株式会社メンバーズです。
小売DX市場は、2030年には1,852億円に達し、2021年度比で3.6倍に拡大する※1と予測されています。 デジタル活用の重要性が増すなか、小売業界でもDXの推進が求められています。しかし、実際の進展は他業種と比較すると遅れ気味です。IPA(情報処理推進機構)の「DX動向2024」※2によると、全社的なDX戦略を推進している小売企業は30.6%にとどまり、金融・保険業(61.7%)や製造業(37.5%)と比べても低い水準にあります。
小売業界ではリアル店舗とオンライン店舗の統合が進み、店舗DXの加速が顕著になるなか、AIの活用が競争力の鍵を握るようになっています。そこでは、レジなし決済やパーソナライズされた販促、需要予測の精度向上など、AIを活用した新たな取り組みが次々と生まれています。本記事では、AI活用のトレンドをもとに、小売業DXの最前線を探ります。
2025年1月、NRF(全米小売業協会)が主催する世界最大級の小売カンファレンス「NRF 2025: Retail's Big Show」がニューヨークで開催されました。今年のテーマの中心にあったのは、「AIの進化と実装」です。小売業においても、単なる「AIの導入」ではなく、「AIを活用した新しいビジネス戦略」が求められていることが明確になりました。特に、以下の3つの領域が今後の成長を牽引すると考えられます。
NRF 2025では、Walmart U.S.のCEO John Furner氏と、NVIDIAのリテール担当VP Azita Martin氏による基調対談がおこなわれ、AIが小売DXにもたらす変革の最新トレンドが紹介されました。
この動向を踏まえると、AIが小売DXを加速させる新たな成長エンジンとなりつつあることが分かります。従来のDXは、主に店舗運営の効率化や業務の自動化が中心でしたが、現在では顧客体験の向上や新たな収益モデルの創出といった、より戦略的な活用が求められています。
では、実際にAIを活用し、競争優位性を確立している企業はどのような取り組みをおこなっているのでしょうか。次のブロックでは、海外の先進的な小売DX事例をもとに、その具体的な戦略を見ていきます。
小売DXの本質は、単なるデジタル化ではなく、ビジネスモデルそのものを変革することにあります。従来のDXでは、店舗運営の効率化や業務の自動化が主な目的でした。しかし、次世代のDXでは、「AIエージェントの活用」「データ主導のパーソナライズ戦略」「店舗運営のスマート化」の3つの領域が、小売業の競争力を大きく左右するテーマとなっています。ここでは、これらの戦略領域に沿って、海外の先進企業がどのようにDXを推進しているのかを具体的な事例とともに紹介します。
DXの取り組み
アメリカの会員制小売チェーンSam’s Clubは、「会員獲得」「エンゲージメント」「リテンション」の3つの柱を軸に、デジタルと店舗の融合を進めています。特に、「Scan & Go」アプリを活用し、会員が商品をスキャンしてアプリ内で支払いを完了できる仕組みを導入。これにより、レジ待ちのストレスを解消し、スムーズな購買体験を提供しています。
さらに、アプリ内でパーソナライズされたレコメンドやクーポンを配信し、店舗とオンラインのシームレスな連携を強化しています。また、生成AIを活用したマーケティング最適化にも取り組んでおり、デジタル技術を駆使した顧客エンゲージメント向上を目指しています。
DXの成果
生成AIが作成した件名コピーは、95%の確率で人間のものより高いエンゲージメントを獲得することが確認されるなど、マーケティングの効果が実証されています。さらに、AIが会員の購買履歴を分析し、「スマートリオーダー機能」によって適切なタイミングでリマインド通知を送ることで、利便性の向上と会員の継続率向上を実現。今後もデジタル技術とAIの活用をさらに推進し、顧客ロイヤルティの向上を目指しています。
DXの取り組み
アメリカの大手ピザチェーンであるドミノ・ピザは、パーソナライゼーションを単なる商品レコメンドにとどめず、顧客との長期的な関係構築の手段として活用しています。最高デジタル責任者のクリストファー・トーマス・ムーア氏は、「店舗での対面接客とデジタル体験の両方で、顧客の過去のやり取りを活かし、一貫した関係を築くことが重要だ」と述べています。
具体的には、初めての注文時に顧客の好みを把握する対話をおこない、次回以降の注文ではその情報を活用したパーソナルな対応を可能にしています。また、AIを活用したデジタルエクスペリエンスの強化にも取り組んでおり、顧客の嗜好を学習し、頻繁に注文するトッピングの組み合わせを記憶することで、ワンクリックで再注文できる機能を提供しています。
DXの成果
学習したデジタル上のやり取りを店舗での体験向上にも活用し、オンラインとオフラインの一貫した顧客体験を実現。こうした施策により、デジタルとリアルの融合を加速し、パーソナライズされたサービスの深化を図っています。今後も、AIの活用をさらに進化させ、顧客との継続的な関係構築を強化することで、より高い顧客満足度とリピート率の向上を目指しています。
DXの取り組み
フランスの化粧品大手Sephoraは、AIとARを活用した「Virtual Artist(VA)」機能を導入し、オンラインでも化粧品の試用を可能にすることで顧客体験を向上させています。オンラインショッピングの普及に伴い、実際に商品を試せないことが課題となっていましたが、バーチャル試着機能を活用することで、ECでの購買意欲を高める施策を強化しました。ファンデーションなどの化粧品をリアルタイムでバーチャル試用できるため、ユーザーは実店舗に行かずに、自分に合った商品を見つけやすくなっています。
DXの成果
SephoraのVA機能の導入により、ユーザーの使用率が16%向上し、VAトラフィック全体は48%増加しました。また、店舗でのカスタムメイク予約やビューティーアドバイザーとの連携も強化されており、オンラインとオフラインを融合したオムニチャネル戦略の成功事例となっています。
DXの取り組み
香港を拠点とする国際的な健康・美容小売チェーンWatsonsは、オフラインとオンラインを融合させた「O+O(Online and Offline)」戦略を掲げ、新しい小売の標準を築いています。WeChatミニプログラムを活用し、中国本土で約6,000万人のユーザーを獲得。
さらに、AI技術を活用したパーソナライズ施策や、VR・ARを活用した仮想試着体験の導入により、デジタルとリアルの境界をなくす取り組みを進めています。また、WhatsAppを活用した1対1のコンサルテーションを導入し、店舗レシートに公式アカウントのQRコードを印刷することで、購入後もスムーズにカスタマーサポートへアクセスできる仕組みを整備しました。
DXの成果
O+O戦略の一環として実施されたTikTok(Douyin)キャンペーンでは、32万件以上のユーザー生成コンテンツ(UGC)が生まれ、再生回数は26億回を超えました。また、WeChat Enterpriseを活用し、美容アドバイザーが4,000万人以上の顧客と直接つながり、パーソナライズされたプロモーションや誕生日オファーを提供。その結果、WeChat Enterpriseアカウントをフォローするメンバーの支出額は、フォローしていないメンバーの2.1倍に達するなど、売上向上にも大きく貢献しています。今後もO+O戦略を強化し、さらなる顧客エンゲージメントの深化を目指していく方針です。
DXの取り組み
アメリカの小売大手Walmartは、マイクロフルフィルメントセンター(MFC)や自動保管・取り出しシステムを導入し、店舗オペレーションの効率化を進めています。2022年にはMFC開発企業「Alert Innovation」を買収し、物流の自動化を加速。サプライチェーン全体の自動化を推進する「オートメーション・サプライチェーン」の構築に取り組んでいます。これにより、物流拠点での作業プロセスを効率化し、店舗運営の最適化を図っています。
DXの成果
サプライチェーンの自動化により、フルフィルメントの単位経済性が約20%改善され、電子棚札の導入によって従業員の作業時間を大幅に削減。これにより、作業効率の向上だけでなく、商品の待ち時間短縮や精度向上にも寄与し、最終的には顧客満足度の向上につながっています。
DXの取り組み
アメリカの大手ホームセンターHome Depotは、オムニチャネル戦略を強化し、シームレスな顧客体験を提供するためのデジタル施策を積極的に展開しています。その代表的な施策が「Buy Online, Pick-Up In Store(BOPIS)」の導入です。オンラインで注文した商品を店舗で受け取れる仕組みを提供し、利便性を向上させています。また、アプリを通じたショッピング体験の最適化にも注力し、月間アクティブユーザー数は2,000万人に達しています。
DXの成果
2023年のオンライン売上は231億ドル(前年比15%増)を記録。2019年第2四半期にはオンライン売上が20%増加し、オンライン注文の50%が店舗受け取りとなるなど、BOPISの効果が顕著に表れています。デジタル戦略の強化により、顧客満足度は89%と高水準を維持しており、今後もオムニチャネルのさらなる強化が進む見込みです。
DXの取り組み
イギリスを拠点とする完全オンライン型スーパーマーケットOcadoは、ロボット技術を活用した物流の自動化を推進しています。その中核となるのが、「On-Grid Robotic Pick(OGRP)」と呼ばれるロボットアーム技術の開発です。フルフィルメントセンター内でのピッキング、パッキング、在庫管理を自動化し、機械学習を活用することでロボットが未経験の商品でも適切に取り扱えるよう自己学習を進めています。繊細な商品の取り扱いや梱包密度の最適化にも貢献しています。
DXの成果
OGRPシステムは、1時間あたり最大630ユニットのピッキング率を達成し、99%以上の稼働率を維持。これにより、倉庫作業の効率を大幅に向上させるとともに、人的リソースの削減とオペレーションの安定化を実現しています。今後も、ロボット技術の進化とともに、さらなる物流の最適化が進むと期待されています。
DXの取り組み
アメリカのホームセンターチェーンLowe’sは、NVIDIA OmniverseとMagic Leapと協力し、デジタルツイン技術を活用した店舗運営の最適化を進めています。全米2,000店舗のデジタルツインを作成し、店舗レイアウトの最適化や在庫管理の効率化を実現。デジタルツインは毎日数回更新され、リアルタイムで最新の情報を反映することで、店舗運営の精度向上に貢献しています。
さらに、AIを活用して陳列変更のシミュレーションをおこない、顧客の購買行動に基づいた最適な商品配置を決定。店員はARヘッドセット「Magic Leap 2」を使用し、在庫状況を確認したり、X線ビジョン機能で隠れた在庫や商品の配置を把握したりすることが可能になりました。
DXの成果
デジタルツインの導入により、店舗プランナーと現場の店員がリアルタイムで連携し、改善案を迅速に共有できるようになりました。ストアマネージャーは在庫の変動を把握し、適切な補充をおこなうとともに、顧客の動線を分析し、レジ待ち時間の短縮や商品の最適配置を推進。これにより、業務効率の向上と顧客満足度の向上を同時に実現しています。Lowe’sは今後もデジタルツインとAIの活用を強化し、さらなる店舗運営の最適化を図る方針です。
AIの導入が進むなかで、小売業界は次のフェーズへと移行しつつあります。しかし、DXの効果を最大限に引き出すためには、いくつかの課題を克服しなければなりません。
市場には多様なAIツールが登場し、企業がどの技術を導入すべきかの判断が難しくなっています。例えば、需要予測、カスタマーサポート、在庫管理、パーソナライズ販促など、用途ごとに異なるAIソリューションが提供されており、それぞれの導入効果を比較・評価するには高度な知識が求められます。さらに、複数のツールを導入しても、各個が独立したシステムのままではデータの一貫性が確保されず、効果を最大化できません。
解決策
プラットフォーム間の統合やデータ連携を強化し、AIの活用を一元管理できる環境を整えることが重要です。具体的には、「データハブ」を構築し、各種AIツールを連携させることで、統合的なデータ分析を可能にするアプローチが考えられます。また、AIベンダーとのパートナーシップを強化し、カスタマイズ性の高いソリューションを導入することも一つの選択肢になります。
AIによる業務の自動化が進む一方で、すべての業務をAIに任せられるわけではありません。例えば、接客や商品選定といった業務では、AIが蓄積したデータを活用しながらも、最終的な判断には人間の直感や経験が大きな役割を果たします。そのため、「AIが人の仕事を奪う」といった誤解を解消し、適切な役割分担を設計することが求められます。
解決策
AIと従業員の役割を明確にし、AIの活用を前提としたスキルアップや業務設計を進めることが必要です。例えば、小売業では「AI+人間」の協働モデルが注目されています。従業員はAIが提示した分析データをもとに、より高度な接客やカスタマーサポートに集中できるようになります。また、AIの活用をスムーズに進めるために、「AIリテラシー教育」を社内で推進し、従業員のデジタルスキル向上を図ることも有効です。
DXは単なる業務効率化ではなく、企業の競争力を高める長期的な視点が必要になります。短期的なROI(投資対効果)のみに注目すると、変化の激しい市場で競争優位性を確立することは困難です。特に、小売業では消費者の購買行動や市場トレンドが日々変化するため、DXの取り組みも柔軟に進化させる必要があります。
解決策
DXの導入を一時的な施策ではなく、「持続的な価値創出の手段」として捉え、長期的な戦略を立てることが不可欠です。例えば、データドリブン経営を推進し、消費者インサイトを常にアップデートする仕組みを整えることが求められます。さらに、AIによるパーソナライズマーケティングを継続的に改善し、リテンション(顧客維持)を強化することで、長期的な収益の向上につなげることができます。
こうした課題に適切に対応することで、小売DXの成功確率は高まり、企業の持続的な成長につながります。AIは単なるツールではなく、小売業の未来を形作る重要な要素です。そのポテンシャルを最大限に活かすためには、技術の導入だけでなく、組織全体の変革を伴う包括的なDX戦略が求められます。
小売業のDXは、単なる業務効率化の段階を超え、ビジネスモデルそのものを変革するフェーズへと移行しつつあります。今後、競争力を維持・強化するために、企業が取り組むべき戦略的アクションを整理しておきましょう。
AIを活用したデータ分析と市場予測により、より迅速で的確な経営判断が可能に。リアルタイムのデータ処理に基づき、最適な価格設定や在庫管理、販売戦略の自動化を進めることが、競争優位性の確立につながります。
ECと実店舗を連携させ、顧客一人ひとりに最適な購買体験を提供することが成長に直結します。AIを活用したレコメンド機能やバーチャル試着など、より個別化された顧客対応が求められます。
画像認識技術やデジタルツインを活用し、店舗の自動化・最適化を進めることで、コスト削減と業務効率化が実現します。さらに、小売業者が自社のデータを活用し、広告プラットフォームとしての機能を強化することで、新たな収益源を確保する動きも加速しています。
海外のケーススタディを見ても、AIの進化とともに小売DXの概念は変化し続けています。技術導入を単なる業務改善の手段と捉えるのではなく、経営戦略全体を見直し、AIを活用した収益構造の多角化や、データ活用を基盤とした顧客エンゲージメントの強化を図ることが求められます。例えば、リテールメディアを活用した広告収益の拡大や、サプライチェーンの最適化によるコスト削減など、AIを経営の中核に据えた成長戦略を推進することが、企業の発展につながります。
また、こうした変化は国内市場にも波及しつつあります。例えば、2025年3月におこなわれたトライアルホールディングスによる西友の買収は、小売DXの新たな局面を象徴する動きと言えるでしょう。トライアルはAIを活用したスマートストアの展開や、データを基盤とした需要予測の最適化など、小売DXを推進する企業の一つです。今回の買収を通じて、AIによる店舗運営の効率化やパーソナライズされた購買体験の提供は加速していきます。企業がこの流れに適応するためにも、AIの活用を軸とした戦略的な意思決定が不可欠です。
消費者の行動やニーズがさらに多様化していくなかで、企業が競争優位性を確立するためには、AIを経営戦略の中心に据え、データドリブンな意思決定を加速させることが重要です。小売DXは、単なるデジタル化ではなく、企業の在り方を再定義し、新たな価値を生み出す変革そのものなのです。
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「“MEMBERSHIP”で、心豊かな社会を創る」を掲げ、DX現場支援で顧客と共に社会変革をリードする、株式会社メンバーズです。